[ゲスト記事9]上海の平泽进ファン[犬風船&Lucy]

星野スミレによる前書き
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核Pライブ「パラレル・コザック」に来日し参加されていて
ライブ会場でお会いした、中国の平沢ファン、犬風船さん。
実際に会う前から、ネット上でのやりとり等はあったのですが
とても真面目な佇まいの青年でした(実際に会った人、ほとんどそう言われてました)
そして、ご存じの通り、サウジアラビアの平沢ファン、Osamahさんの
インタビュー記事がおかげさまで大好評だったこともあり
海外平Pファン記事のシリーズ化ができればなぁとおもってたところでして
犬風船さんに打診したところ、意気投合となり
今回の記事になったというわけです(今回も翻訳Lucyさん)
「あえて」前回のOsamahさんの記事と「ほぼ」同じ内容の質問を15ほどしています。
なかなか興味深い内容になってます。
Osamahさんのインタビュー⇒サウジアラビアのHirasawaファン
と犬風船さんのインタビュー、ぜひ比較してお楽しみください。
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犬風船/Cano
これは、私が技術文書以外で書いた、初めての英語の文章です。皆さんに気に入ってもらえたら嬉しいです。

1.平沢を知ったきっかけは?

話せば長くなりますが、自分に起こったいろいろなことを伝えたいから話しますね。大まかに言って、「初期」「個人探求期」「ファン交流期」の3段階に分けてお話したいと思います。

「初期」は、小学校から大学までの時期です。平沢音楽との出会いは大学時代でしたが、まず小学校時代からお話しします。小学校時代は1990年代前半で、その頃は日中関係が今よりかなり良い時代でした。大量の漫画とアニメが日本から中国の都市へ輸入されており、人気がありました。その頃私は小学生でしたが、自分のお小遣いで、小さな町の書店でも、普通に三~四十種類以上の漫画を手に入れることが可能でした。その頃、友人達と同じように私が好きな漫画は「ドラえもん」「ドラゴンボール」「らんま1/2」とかで、一番はやはり「幽遊白書」でした。「幽遊白書」は何度も読んで、今でも多くのシーンとセリフ(中国語だけど)が頭の中に残っています。人生観にも影響するほどに好きでした。(働いてくれ、富樫さん!)ちなみに、「幽遊白書」の中で初めて、戸川純さんの名前を知りました。何年か後に、ネットで戸川純さんの名前を見たところ、即座に「幽遊白書」の樹のセリフを思い出しました。

中学~高校時代は、大学進学志望だったので、漫画を読む余暇は少なくなりました。しかし、私はアニメや漫画の世界に惹かれ、カセットテープでアニメミュージックまたはOSTなどをずっと聴いていました。OSTはファイナル・ファンタジー・シリーズや光田康典の作品、そしてアニメミュージックというのはその頃の人気アニメ全般の曲でした。夜にカセットを聴きながら眠りにつくのは毎日の楽しみでした。その頃、中国では意外にアニメ・漫画の情報を入手しやすかったのです。

そして、大学に入って、暇になりました。(いや、実はそんなに暇なわけでもなかったです。)大学内限定のBBSのアニメ・漫画板で、様々な情報を手に入れ、いろいろなアニメを観ました。今敏監督のアニメがすごく高く評価されていたので、2005年に今敏監督の「妄想代理人」を観ました。傑作だと思いました。その時、「ラー イヤーラ ライヨラ」という歌で始まる強く印象に残る不思議なオープニング曲にも心を惹かれました。この曲の素晴らしさに気付かないわけがないでしょう。その時はただ「この人の技術やセンスは面白い」というふうに感じていました。つまり、まだ平沢進というミュージシャンの名前を知って、印象が残る程度に過ぎなかったのです。2006年の「パプリカ」はまたアニメ映画の傑作でした。私が最も好きなアニメ映画です。今監督の独特の世界観と、夢と現実の曖昧な境界線と、美しい女性に感動しました。その頃から私はパプリカのOSTを好きなプレイリストに入れ、時々再生するようになり、かつて光田氏の作品が大好きだったように、平沢進の音楽を好きになっていきました。

その後の「個人探求期」は、私が平沢ファンになり、インターネット上の平沢進の情報を何でも探すようになった時期です。2006年頃から、私は人生の進路がわからなくて、すごく悩んでいたんです。そして、あちこちで「面白いもの」で笑わせてくれるものや「意味や価値の有るもの」で自分をリラックスさせてくれるものを探していました。その頃は Youtubeで動画を見始めていました。最初はランダムに人気のある動画を閲覧して、だんだん興味のあるネタに収束していきました。主に日本の武術(かっこいいから)やコント(ラーメンズ最高!日本語は三割しか分からなかったのに最高でした!)。

ところが2007年の10月、youtubeへのアクセスが GFW(the Great Fire Wall)によって遮断されてしまいました。その時友人から「ニコニコ動画というサイトがあるよ。面白いし、日本のサイトだよ」と聞いて、早速乗り換えました。ある日、「【踊ってみた】海外仕様ミク-どちらかというとはちゅね【コスプレ】」という動画、つまり、フランスのYumiko先生の伝説の始まりの動画を見ました。一見、普通の「初音ミクコスで踊ってみた」動画でしたが、実はボーカロイドをテーマとしたダンスの中では本当に芸達者なパフォーマンスでした。それは私がエンドレスで再生するようになった最初の動画でした。Yumiko先生の初音ミクへの愛とダンスへの情熱、勇気に感服して、ファンになりました。Yumiko先生はいつもボ―カロイドのキャラと曲で踊っていましたから、不覚(笑)にも準ボカロ厨にもなりました。

ここからの展開はだいたい予測可能でしょう(笑)。2008年のある日、KAITOカバーの 「白虎野の娘」に辿り着いたのです。「調教がうますぎる。ボーカロイドには聞こえないほどのうまさだ」私はこの曲をよく知っている曲だと気づきました。ご 存知のように、この曲は「パプリカ」のエンディング曲だからです。「じゃ、原曲はもっと素晴らしいのでは?原曲は?」と思い、平沢進さんのオリジナルを聴き、「お!おお!やはり人間のボーカルは素晴らしい!」と思いました。Susumu Hirasawaで検索したところ、「平沢進メドレー1」が出てきました。かいつまんで言うと、その動画の中の最初の2曲の「Archetype Engine」と「Kingdom」を聞いただけで夢中になって、何度もループして深夜3時頃まで聴きました。なぜあんな難しく深遠で優美な歌詞でもなんとなく分かったのか、摩訶不思議です。その後は、ネットで平沢さんの情報をいろいろ探した結果、中国語の紹介記事を読むことができ、平沢進氏が「師匠」と呼ばれていることや、その他様々なエピソードを知りました。私はこの頃、一生、平沢進氏のファンとして生きる決意をしました。それだけの価値があると感じたのです。

「ファン交流期」はとても簡単に語れそうです。まずはインターネットの掲示板で中国ファンのグループを発見して、さっそく参加しました。そこで何人かの中国人ファンと知り合い、たくさんのことを教えてもらいました。私達は何曲かの歌詞を中国語に翻訳してみました(しかし、中国語訳が正しいかどうか判断できる人はいませんでした)。そして、平沢進公式サイトのno roomの存在を知りましたが、その頃の私の日本語力では、「三行ログ」のような簡単の記事しか読めませんでした。いや実は三行ログも全部は理解できなかったはずです。

2009年の平沢進さんの誕生日、他の中国ファンが(もちろんネットで)「お誕生日のお祝いに公式BBSに何か書き込みましょうか?」と言い出したので、自分もそうしようとしました。しかし、なぜかサイトの中でBBSが見つからず、「グリーン・チャット」に辿り着きました。そこにメッセージを書き込もうと思ったのです。するとそこには、たまたま誰かがログインしていました。私は「うわ、人がいる。人がいる。どうしよう」とものすごく緊張して、すぐに自分が日本語が苦手な中国人であることを自白しました(笑)。その時、私は日本語でチャットするのは生まれて初めてだったのです。そこに居た日本人のファンの方はとても親切にやりとりしてくれたので、とても楽しかったです。人生初の日本語チャットを平沢ファンと一緒にできたのは幸せです。その日本人ファンの方は驚異的すぎるほどグリーン・チャットの常連だったので、私はその後、頻繁にグリーン・チャットを訪問するようになりました。そこでいろいろなファンと出会って、いろいろなことを教えてもらって影響を受け(例えば、彼らに勧められて、私は一人でカラオケボックスへ行き、平沢曲を歌うようになりました。)、ついに、自分のことを改めて「馬の骨」と名乗るようになりました。グリーン・チャットの本場馬骨たちのおかげで、日本へヒラサワのライブを観に行きたくなりました。ついにたった一人でライブを観に日本へ行く勇気も湧きまし た。日本滞在の間ずっと、たくさんの平沢ファンの方々に助けていただき、歓迎されました。そして、東京へ行って、パラコザ(核P-MODELライブ・パラレル・コザック)にも参戦しました。いくつかのオフ会にも参加し、独学で学んだ日本語で、何人かの日本人ファンの方々と会って話しました。ある日本人ファンの方のおかげで、自分が購入したライブチケットの他に、もう一枚チケットを手に入れることができました。また日本人ファンの方々のおかげでメカノに行くこともでき、GAZIOにも「お参り」しました!日本のファンの皆さん一人一人に対して、感謝の気持ちでいっぱいです。

2.中国で平沢ファンを続けていくうえでの一番の難しさは?

平沢作品の購入…ですね。やはりそれは多くの海外馬骨の共通難所でしょうね。客観的に見て、中国は他の外国よりも難しいと思います。中国ではパプリカのDVDをはじめ、今敏監督のアニメ作品は何一つ売っていないという状況です。では、ここで、インターネットの遮断について語りましょう。ご存知かも知れませんが、中国では、近年、いろいろなサイトへのアクセスが遮断されました。規制されたサイトは、たとえば、Facebook、Twitter、Youtube、そして日本のニコニコ動画、Ustream、FC2までも含まれます。つまり、通常の方法では、平沢師匠のYoutubeやニコニコ動画の音楽動画やユーモア溢れる「Tweet(恥)」は見ることができないと決まったわけです。また、平沢さんがライブをUstreamで生中継する時も、それを見られないのです。

そこでVPNまたはcircumvention toolの登場です。私は以前、無料VPNでニコニコ動画とUstreamを見ていました。無料だから時々使えなくなるのは当然で、凄く不便でした。それでも、私は昨年までずっと無料VPNでした。一つの動画を見るために、何十回もF5キーでリロードするのは当たり前でした。では、中国馬骨がライブで宅オ(在宅オーディエンス)となる光景を想像してください。「ノモノスとイミューム」(2013年)ライブの時、私と数人の中国馬骨たちは、無料VPNでUstreamや特設サイトへ何十回、何百回も接続をリトライして、「あ、また落ちたよ。」「私はまだいける。頑張れよ!」とお互いに激励しながら各自のネットワークをメンテナンスする光景。大変でしたが、別の見方をすると、仲間同志の繋がりを感じました。今年(2014年)からは本場日本の馬骨たちともっと馴れ馴れしく(笑)なりたいから、有料VPNを使い始めましたが。

3.中国での平沢の認知度は?

先ほどの私の答えからも分かるように、中国では平沢師匠のファンだと自認する人は多くないはずですが、私の個人的推測では、それでも千人規模の人がいると思います。アニメファンの間では、今敏監督や三浦建太朗氏のアニメの音楽担当ミュージシャンとして有名なので、平沢のファンではないが「この三浦先生と今先生の専用音楽家がすごい」と感じる人は数千人くらい居るかも知れないです。そして、アニメに詳しい人たちは平沢師匠の音楽を知っているはずなので、平沢進 の名前が分かる人はまず数万人以上だと思います。一方、P-MODELから入る人は希少です。そもそも中国はロックを聴く人が多くないのです。ビッグ・ブラザーの下での規制のために宣伝が難しいからです。ただ、ロックでも欧米のものはずっと流行っています。余談ですが、漫画・アニメ「けいおん!」の平沢唯の元ネタだ!と正確に認知する人は数千人以上いるはずです。進と唯の両方が好きな人は数百人くらいいると思います。この数百人は熱狂的なファンで、この人たちはたぶん全て「馬の骨」と名乗るのでしょう。

4.近くに平沢のことを話せる知り合いはいますか?

頑張って宣伝していますよ(笑)。自分は理系のエンジニアで、友人や知り合いも大部分は理系で素朴な人達だから、平沢師匠のことを話せる人は多くないです。何人かの友人に平沢のことを紹介したら、こんな会話になりました。アニメファンの親友のマルさんにアルバム「Blue Limbo」を勧めてみると:「ごめん、かっこいいけど、旋律がわからない…予測不能、回避不能、記憶不能な感じ…」と言われました。頭のいい親友のサヤさんにアルバム「Sim City」を勧めてみると:「これはクラシック、シンフォニーじゃない?この複雑さは良いけど、電子っぽい音がちょっと苦手」と言うのが彼女の反応でした。後輩のフェイさんと一緒にライブ「Phonon 2551」DVD観ると:「歌い方は中国の少数民族っぽいね。しかし見たことない奇妙な楽器がいっぱいある。これって本当にエレクトロニカ?」大体こんな感じ(笑)。

ネットでは数人の平沢ファンの知り合いがいますけれど。「平泽进大叔研究团(平沢進おっさん研究団)」という会があり、そこでヒラサワ師匠のことを熱く語り合います。メンバー達は、オンラインでチャットしますが、お互い実際に会ったことがある人たちはごくわずかです。2556年(2013年)の平沢生誕にもお祝い合唱動画を作ってニコニコ動画にアップロードしちゃいました。ちなみに、Twitterの中国版と言われる「ウェイボー」でずっと宣伝しているから、3人くらいのネットの知り合いに影響を与えて平沢ファンにすることが出来ました。

5.P-MODELと平沢ソロどっちが好き?

もちろんP-MODELは一番好きなバンドですよ。しかし、やはりP-MODELより平沢ソロの方がもっと好きです。なぜなら、多分、私はそもそもアニメ関連のソロ曲から入っていったからでしょう。両方とも好きですが、個人的に昼(デイタイム)はP-MODEL、夜(ムーンタイム)はソロを聞くのがふさわしいと思います。ソロ曲はすべてが静かな曲というわけではない(リズミカルでビートの速い曲もあります)けれど、聞き続けるとなぜか心がだんだん深く安らかに、柔らかくなります。夜に平沢曲を再生しながら読書するかネットでいろんな記事を読むのが好きです。そしていつも聞いて聞いてヒラサワ・ワールドに夢中になって、「我に帰る」と、もう午前2時だということはよくあります。電子なのに無国籍の民族風のスタイルはたまらない(笑)。 そして何度も聞いて歌いたくなると、歌詞を読んで、その難解さに耐えて理解したとき(完全に理解したとは言えませんが)、あの美しい日本語に触れた時の感動は言葉では言えません。ソロもP-MODELもですが、特にソロの歌詞は神秘的で宗教的です。特にソロ曲の歌詞の中には、驚異するほどいろんな漢語言葉が出て来ます。その漢語の正確さと優雅さに中国人の私は感服します。平沢師匠は詩人というだけでなく、漢語の達人です。(現代中国語を話されるとは思いませんが。)漢語をあんなに美しく使えるのは、漢語へ、もはや中国語への恵みだと思います。中国人でそれを知っている人は少数ですが。

P-MODELの曲は格好良くて面白いです。アレンジや歌詞はテクニカルで且つロマンティックな印象を受けます。以前は改訂P-MODELの時期が一番好きでしたが、あるテクノ・ミュージックに関する記事を読んで、テクノは日常や工業環境の中に出てくる電気機器の音を音楽にするものだとわかってから、だんだん初期から後期ま での全ての時期のP-MODELも好きになりました。私は昔の機械や電気製品の音を思い出しました。あのテクノロジー大爆発の時代、いろいろな新しい技術や機械が生まれ、新しいことが可能になって、新しい世界が人々の目の前に展開していたのでしょう。小学生の自分がBASICからプログラミングを学んでいたころを想起します。あの頃、私は明るいドキドキ感を持ち、大陸発見の時代に人々が未知の世界に「船出したい」と思ったように、創造したい、また、探求したい、と思ったものです。その感覚を心の底に刻むと、今はもうP-MODELの全部の時代が大好きになってしまいました。

6.一番好きなアルバムは?

馬骨として唯一の正解は「全部好き!」でしょうね?そういう答え方でも良いですか?強いて言うなら、今は「賢者のプロペラ」です。先ほどの私の答えでも言ったように、夜、作業などをしながら、繰り返し平沢音楽を聴くのが大好きです。このアルバムをループで聴くと、静かで平和な別世界に浮揚して行くような感覚になります。

7.一番好きな曲は?

もう一回言いましょう。唯一の正解は「全部好き!」ですよね。今一番好きな曲は「Timelineの東」です。理由はその歌詞です。「道を東へ、キミの威光の方へ」「囚われた壁無いと知り、息を吹くキミの本分の火」(英語の拙訳では、 ”Way towards the east, to your power. Knowing that the walls which imprison me do not exist, the fire of your duty blows.”  となりました。もし間違いがあればどなたか訂正してください。)

初めて平沢師匠のライブを観に日本へ飛んで行こうと決意したのは、2012年の冬でした。本気で大好きなアーティストのライブを観なければ、きっと一生の後悔になるはずだと気づいたのです。2013年1 月のライブ「ノモノスとイミューム」を観たかったけれど、ビザ取得には保証金とか、複雑な手続きとかがあるため、結局行けませんでした。悔しかったけれど、その悔しさを力に変えて、2014年1月、ついに初めて日本へ行きました。ライブ「パラレル・コザック」を観る為に。国境も、ネットの検閲も、言葉の壁も、「囚われた壁じゃない」と知り、一介(一塊?)の馬骨の本分として、「道を東へ、キミの威光の方へ」、東京へ、つくばへ、私はやってきました。ライブ直後、帰国直前の1月15日夜、私はホテルの部屋で、「Timelineの東」の一番を一発歌ってみて録音しました。下手くそでぐだぐだな歌声でしたが、後から聞くと、自分の宝物となり、貴重な思い出になりました。

8.日本の印象はどうでしたか?

日本は、長い間、私の最も好きな国でした。TV番組と漫画で日本のいろんなことを学びましたが、実際に初めて来てみたら、思った通りの素晴らしさだったかな、あるいは思ったより凄かったかな、とも思います。一週間の間、東京とつくばしか行きませんでしたが、私にとって最高の旅でした。

日本の印象は、まずは、凄く発達しているという印象です。東京は非常に巨大な都市ですが、いろいろな機械やテクノロジーのお蔭で、快適で効率的だと感じました。たとえば、東京ではJRや 地下鉄で、大抵の場所に一時間以内で行けました。切符販売機とか改札機とかの便利な機械が用意されているので、無駄な待ち時間は最少化されています。上海 の倍くらい効率が良いです。駅の改札機は非常に使いやすく、上海のものより数段良いです。町の通り側にも思ったより断然多く自販機がありました。上海ではコンビニエンス・ストアは最近増えましたが、道端に自動販売機はほとんど無いのです。「なるほど、これこそ偉大なるテクノバンドのP-MODELが生まれた国、ダストイドが住む国だ」と思いました。「これこそ、大都市があるべき姿だ」と思いました。上海がいつか追いつき、東京のようになることを願っています。

二つ目に、東京はきれいで静かという印象です。街を歩くと、どの道も地面に塵も無いほどの清潔さです。感服して、電話で母さんへ「三日間もあちこち歩き回ったのに、僕の靴底は新品のように綺麗なままだよ!」と報告したほどです。多くの家々の玄関の前に、きれいに蒔き育てられた花があり、それらは太陽の光(ソーラ・レイ)を浴びて輝いていました。それらを見ると、ここに住んでいる人たちがきちんと生活していることを感じました。東京は人口密度が高いのに、以前友人から聞いた話通り、住宅街ではあまり人が見えないのが不思議です。「いったい皆さんはどこで何をしているのかな。自分の仕事や義務を果しているのだろうか。もしかして自分の「庭」で庭師として働いてるのかな」(笑)と思いました。

あとは、食べ物は全部美味しかったです。的確に言うと、食べ物は全部最適の方法で調理されているという感じでした。日本の料理は他の国の料理のように過剰な調味料は使用しないので、地味で体にいい食だと思います。普通の店でも必ず後味までいい料理が出されます。これは上海では不可能です。食べ物はしゃべれないけど、料理人のお客さんへの思いやりを伝えるのでしょうね。だから、日本の食べ物が好きなんです。

東京に居た時は、ずっと、まるで故郷にいるような感じがしました。私の故郷は旧満州に位置する旧満鉄付属地で日本人が建設した町なのです。ただ町並みが似ていたというだけではないのです。長い間、日本の本を読んだし、日本の文化を学んできたので、実物の日本に来てみると、思った通りか、思った以上か、日本で自分の目で見たこと全部がいままで想像していたことの実現だっただから、「行く」じゃなく、「帰る」という感じがしたのです。来日直前に、Twitterで「俺ら東京さ行ぐだ」とツイートしました。私は興奮していました。しかし私の興奮の理由は、初めて大好きなスターのライブを観に行くからではなく、一人で初めて日本へ行くからでもなかったのです。興奮の一番の理由はヒラサワでした。この四年間、毎夜毎夜ヒラサワの音楽を聴いて、「私もライブ観たいな~」という願いが重なって、心に積もっていたからです。「祈るなら今は願いはかなうと」という「オーロラ」の歌詞のように。平沢師匠は嘘をつきません。私の夢は叶ったのです。

9.日本語はどうやってマスターしましたか?

マスターしていませんよ。文法のミスも頻発しますし、分からない言葉も多いし、平沢の歌詞も分からないし(笑)。一言で言うと、独学です。すべての発端は中二の頃でした。その頃は、自慢できるようなことを身に着けたいと思い、仮名を勉強し始めましたが、平仮名しか覚えませんでした。一言で言えば、健康的な中二病のせいです。文法が全然わからなくて、中学校の図書館にたくさんの日本語の本があったのに、しかも大好きなPCゲームがKOEIの「太閤立志伝」や「信長の野望」だったのに、文法の知識が無かった為、高校時代まではちんぷんかんぷんの状態でした。大学時代に、自分の意思で何かを成し遂げたくて、文法から日本語を勉強しようとしました。JLPT(日本語能力試験)2級を取るまで学びました。しかし、応用力は全然足りなかったのです。

もう日本語の勉強は諦めようかと思っていた時、会社に入った三日目、町を散歩して、日本語の古本を売っている店を発見して、日本語での読書を始めました。その店は五日後に閉店する支店だということでした。多分縁があったのでしょう。それ以来、私は月一度、二時間かけて、バスと電車を乗り継いで、その書店の本店に本を探しに行くようになりました。会社の残業は多かったけれど、私は通勤のバスでも、小休憩にもずっと新書や文庫本を読み続けていました。その頃は、日本語を学ぶことでどんなメリットがあるのか分かりませんでしたが、続ければきっと何かに出会うはずと信じていただけです。その一年後、平沢師匠のファンに成らせていただきました。そもそも日本語は趣味であり、使う場はなかったのです。人前でしゃべったこともなく、日本語で何かを書くこともなかったのです。実際に日本語で初めて意思を伝えたのは、日本馬骨とのチャットでした。最初は発音も下手だったのですが、平沢の曲を聴いて、真似して、発音もアクセントもどんどんはっきりしてきました。平沢の歌詞を理解するため、古い日本語の文法も学び始めました。平沢師匠のお蔭で、私は日本語を学ぶ目的と本当の楽しさを得たのです。平沢の日本語と普通の日本語の境界線はまだはっきり認識できませんが。

日本語の勉強は、やはり文法がもっとも重要だと思います。人は、文法で思い、文法で意思を伝えるからです。文法がわからなければ、きっと意思の疎通は中途半端になるはずです。文法が分かれば、言語習得は断然容易になるのだろうと思います。単語はグーグルで検索すれば調べられるからです。日本語は「和語」「漢語」「外来語」の三種類の言葉を持つ言語です。中国人の私には、もっとも数が多い漢語言葉がただわかりやすいだけでなく、「作りやすい」のです。一つ一つの漢字からより複雑な言葉を組み立てるのは、中国人の私の本領です。(日本語の漢語言葉には、ある程度の中国語の古語知識が必要で、言うほど簡単でもないですが。)外来語は、殆どが英語で、英語ができれば、なんとなく理解できます。残りの一つは、和語。和語はいちいち学なければならないですが、日本語が好きなら、面白く学べます。日本語をしゃべっていて、ある単語を日本語で何と言うのかわからない時、漢字語で言ってみたり、 外来語で言ってみたりすると、通じることがあります。

10.平沢の作品をどうやって購入してますか?

中国には「萌購(萌えショッピング)」という代理通販サイトがあります。そのサイトでAmazonに売っているものを注文したら、普通、半月くらい後には届けてもらえます。つまり、Amazon にあるCD/DVD/本は大丈夫です。しかし、平沢公式サイトだけに売っているアイテムは、日本国内とアメリカ向けにしか配達していない為、日本に住んでいる友人に頼むしかありません。もう一つの方法は、東京中野のShopメカノへ行くことです。「山がここへ来ないのなら、私が山の方へ赴こう。」また東京へ行くことが有ったら、必ずメカノへ参ろうと思います。また、「順豊」という速達会社は、間もなくアメリカの倉庫で代理配達サービスを始めると宣言しました。それなら、平沢公式サイト限定のアイテムもより便利に手に入れられるようになるでしょう。

11.手持ちのアイテムで一番入手に苦労したアイテムは?

ハルディンドームのBox Setだと思います。予算が足りるまで我慢してお金を貯めたのはまだ平気でしたが、実は、日本に居る友人に発送してもらう度に、必ず焦るのです。日本から中国への荷物は配達までにいつも日数がかかります。また、最寄の郵便局に届くまでの間、郵便局の公式サイトでも追跡ができないのです。また、中国の税関ではどんなことも起こり得るから、途中で無くなってもおかしくないのです。Box Setは 輸入は許可されるはずですが、大きいので、リスクも大きくなるはず:16枚のCDは、CD1枚の16倍、リスクが大きいと思いました。友人が発送してから、一日二度ほどサイトで追跡していましたが、状況の更新はいつも無かったです。信じるしかないので、信じて待ちました。 

12.今一番欲しいアイテムは?

「太陽系亞種音」の再発に決まっています!新参ファンだから、亞種音が欲しいです。あとは、昔のライブ、特にDVD版の無いライブ映像です。そして、もし有るなら、平沢の日本語教材(CD付き)、あるいはタイ語教材(CD付き)が欲しいけど、やはり無理でしょうね。(笑)

13.平沢のことを何と呼んでる?

中国語簡体字では平泽进と書いて、ピンインではPingze Jin。仮名としては「ピンザージン」に近いと思います。台湾と香港では「平澤進」となるはずです。通称は師匠(Shi Jiang=シーチャン)。これは間違いなく日本からの伝来ですね。愛称は人によっていろいろあります。平泽大神とか、平叔(ヒラおじさん)とか。私は、平泽进老师(平沢進老師)と呼びます。

14.日本の平沢ファンに一言

日本のファンが羨ましいです!平沢師匠と同じ国に住んで、同じ言葉を使って(ほぼ同じ言葉でしょうね?)、街角ですれちがうことも可能な人々は、幸せであるべし!最初のグリーン・チャットでの出会いから、今では百人有余の本場馬骨を知り(主にネット経由で)、たくさんの知識を教えていただきました。日本のファンの方と平沢さんや平沢さんの音楽に対する気持ちを共有できて嬉しいです。日本の 「みんんさ」はとても温かいです。本当に有難うございます。出会えてよかった!そして、これからもよろしくお願いします!

15.平沢進に一言

もし平沢進師匠にこの言葉を届けることができるなら…。
平沢さんは不思議な人です。天才です。私は、平沢さんの音楽に、歌声に、歌詞に、この何十年もの修業のような音楽の仕事に、勇気をいただきました。愛と信念を持って、人生の道のずっと先に進んでいる平沢さんを見て、生き方に影響を受け、私は人生を自信を持って歩むことができます。平沢さんを信じると、人生のいろんなことを信じられるようになりました。師匠、有難う。本当に有難うございます。               

(翻訳 犬風船さん&Lucyさん)
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‘Inu-Fuusen, A Hirasawa Fan from Shanghai, China’

Introduction by Sumire Hoshino
I met a Hirasawa fan from Shanghai, China, at ‘Parallel Kozak’ live show by Kaku P-MODEL(Susumu Hirasawa) in Tokyo in January, 2014. He calls himself ‘Inu Fuusen(犬風船)’, which means ‘Dog-shaped balloon’. Inu Fuusen came to Hirasawa’s live show all the way from Shanghai. I had corresponded with him through SNS and we knew each other’s names, but I met him in person for the first time in Tokyo. The moment I saw him, I instantly understood he was a very sincere and extremely nice young man. (All other friends of mine who met him said the same thing about him.) We naturally made friends and we had been talking about Hirasawa music since then.

As you know, my previous article about Osamah, a Hirasawa fan from Saudi Arabia, was so popular and read by so many people, so I was thinking I wanted to write another article like that. I even thought I would make a series of articles about Hirasawa/P-MODEL fans from overseas.

When I told him about it, Inu Fuusen was excited to hear my idea, and here it is. He wrote such an interesting and moving article for me. (My friend Lucy helped him translate his English writing into Japanese.) I asked almost the same 15 questions as I asked Osamah last time. This is Osamah’s interview in 2013⇒ Osamah’s interview Please read both Osamah’s and Inu Fuusen’s interviews and compare them. I’m sure you will enjoy them a lot.

Inufuusen


This is my first time to write something other than technical documents in English. I hope you like it.

1. How did you get to know Susumu Hirasawa's music first?

It might be a long story, because I want to introduce the things happened to me. The story is generally divided into 3 phases: early phase, stand-alone phase, and networked phase.

Early phase lasts from my primary school time to my university. I hadn't heard Mr. Hirasawa's music until I was in university, though. It was a time when Japan and China had good relationship in 1990's. Manga had been popular in cities for years and was even booming. Back then I was a little schoolboy. It was very easy for me to buy Manga books with my pocket money at the book store in the nearby market street. Almost in every small book store, there were more than 30 different Manga books sold. Like most of my friends, I enjoyed ‘Doraemon’, ‘Dragon Ball’, and ‘Ranma 1/2’. However, my best favorite was ‘Yuyu Hakusho’ by Yoshihiro Togashi, the lazy genius :D I have read ‘Yuyu Hakusho’ for so many times that even now I can recall many scenes and dialogues, and I'm heavily influenced by it. By the way, it was the first time for me to get to know Jun Togawa's name when I read ‘Yuyu Hakusho’.

Most of my life in middle school and high school were devoted to the entrance examination of university. I became impossible to read much Manga. However, I have been led to the world of Manga/Anime. I kept listening to anime music with a cassette player almost every night till I fell asleep. Sometimes it was OST(original soundtrack) of such as ‘Final Fantasy’ series or works of Yasunori Mitsuda, and sometimes it was music from miscellaneous animes.

In university, I had much spare time. I went to the intra-university BBS to explore for different kinds of things. I used to collect information in the Anime/Manga board and watch animes accordingly. It was in 2005 when I met Satoshi Kon's works. ‘Paranoia Agent’ was a masterpiece. The unforgettable opening song beginning with "La i ya la la i yo la~" was very interesting. I was impressed by his techniques and sense of music. This is

when I learned Susumu Hirasawa's name. ‘Paprika’ in 2006 was my favorite anime movie. I was moved by his unique view of the world, the vague borderline between reality and dream, and the beautiful female images. I added OST of Paprika into my play list, and played now and then.

Then came stand-alone phase, when I was a fan of Mr. Hirasawa, who surfed the net, looking for everything of the artist. I became nervous of my future around 2006, and began to hunt for various either funny stuffs that would cheer me up, or artistic/fine stuffs that could relax me. I happened to know Youtube. Very soon I got a bit addicted to watching it. At first, just randomly checking out popular videos, but gradually I focused on topics such as Japanese martial arts (which looks so cool) and Japanese short comedies (among which I love Rahmens most, though I could merely understand no more than 30% of their dialogues).

In October 2007, access to Youtube was forbidden by GFW - the Great Fire Wall which keeps many things out. A friend of mine helped me with his suggestion, "Why not try Niconico Video? It's funny and it's Japanese!" That's why I turned to Niconico. One day, I met my favorite dancing video, Yumiko's dance in France as ‘Hachune Miku’. At first I thought it was a normal dance in a Miku costume, but in fact it was one of the best Vocaloid themed dance performances. I could feel Yumiko's love to the character and pure devotion to dancing. I was not only cheered up, but actually moved. It was my first video to watch in an almost infinite loop. Because Yumiko dances only as Vocaloid characters, naturally I became a fan of Vocaloid music.

The story afterwards was easy to predict. One day, I saw a song sung by Kaito, named "The Girl in Byakkoya". The performance of Kaito was surprisingly outstanding. I could hardly tell that it was not a human to sing. I felt very familiar with the song…as you know, it's the ending theme of ‘Paprika’. I then compared it with the original version sung by Mr. Hirasawa, and learned about the greatness of human. Searching with keyword ‘Susumu Hirasawa’, I found a video with a plain title ‘Susumu Hirasawa Medley 1’. I was shocked by the very first two songs in the medley, ‘Archetype Engine’ and ‘Kingdom’. I don't remember how many times I kept playing that video. All I know is I could not stop listening until about 3:00 am. I had a feeling that I understood the lyrics, which was so deep and elegant. Considering that Hirasawa's lyrics is extremely difficult, I could not explain why I felt that I understood. From then on, I searched for information of Hirasawa and read articles about him in Chinese. Very soon I decided to be a fan of Hirasawa, an artist worth being a lifelong fan of.

Networked phase is networked. I found the board for Susumu Hirasawa in a public platform. It was a Chinese platform and I met some Chinese fans on the board. I learned many things from them. Sometimes we exchanged our knowledge of Hirasawa. We tried to translate the lyrics (no one was sure if the translation was right though). I also visited Hirasawa's official site from then, but only to read very simple text due to my poor Japanese... Actually, I even could not read ‘3-Line Logs’ :-|

On Mr. Hirasawa's birthday of 2009, we decided to post our congratulations on Hirasawa's official BBS. However, I didn't find the right entrance of BBS on the site. I happened to enter the chat room ‘Green Chat’, and I decided to leave some messages there instead. In the chat room there was another one. My Japanese was very poor, and it was my first time to chat in Japanese. He was so nice that I had a great chat. Because he was always waiting in the chat room, gradually I became a frequent chatter there. I got more and more influenced by the Japanese fans there. (For example, I was encouraged to go to a Karaoke box alone to sing Hirasawa songs.) Finally, I started to call myself a "horse bone". That's how Japanese fans call themselves.

Motivated by Japanese fans, I decided to travel all by myself to Tokyo to watch Live ‘Parallel Kozak’. During all my trip I was helped and welcomed by many. I attended several offline parties, chatted with several Japanese fans with my self-taught Japanese. I got an extra ticket of the live show with help from one of the Japanese fans. I even made my way to Café Gazio, run by Susumu Hirasawa’s elder brother, Yuichi Hirasawa, and Shop Mecano. I feel so grateful that I got to know every of you local fans.

2. What's the most difficult thing living in China being a Hirasawa fan?

To buy Hirasawa's works is very difficult. However, it should be equally difficult for fans in most countries. Fairly speaking, it's still more difficult in China. For example, even none of Kon's works is sold in China, including ‘Paprica’.

Let me talk about how we are being under the network censorship. As you might know, popular websites such as Facebook, Twitter and Youtube are banned. In addition to that, Niconico Video, Ustream and even FC2 in Japan are banned, too. This means, normally we cannot see Hirasawa's tweets (which is full of humor), cannot watch videos with his music on Youtube or Niconico, and when he offers real-time live video broadcast of his performance, we cannot access Ustream.

That's why a VPN or circumvention tool is needed. I used to get access to Niconico or Ustream with a free VPN or tool, but free ones are always not very stable. To watch a single video, usually I have to press F5 to reload for more than 30 times. Now please imagine how we watched Hirasawa's live as "at-home audience". When Live ‘Nomonos and Imium’ was on air (or rather on line?), we several fans were trying to connect to the special site for audience and Ustream. There were always conversations like "Sigh, the connection is lost again." "Mine is OK for minutes. Come on, you can make it!" It was hard, but was also a bit romantic if you think in another way.

I was using free VPN until last year(2013). In order to be closer to fans in Japan and other countries, I have been utilizing paid VPN since this year(2014).

3. How is Mr. Hirasawa famous in China?

From the answer to the previous question, you can tell that there can not be many Hirasawa fans in China, but still there should be around one thousand according to my personal assumption. Among Anime fans, Hirasawa is well known as Kon's special musician, as well as Miura's. There should be thousands of such people. If we count people who have heard about Hirasawa as a musician, probably there are ten times more.

By the way, the amount of people who knows the relation between Susumu Hirasawa and Yui Hirasawa in Anime ‘Keion!’ should be several thousand. Furthermore, people who love both Susumu and Yui should be hundreds…such people must be maniac Hirasawa (I mean Susumu Hirasawa) fans who call themselves Horse Bones.

4. Do you have any friends around you to whom you can talk about Hirasawa?

Well, I have been introducing Hirasawa to friends long since. :) However, I'm an engineer and most of my friends and acquaintances are not very much fond of music. Thus I don't have many friends around me to talk about Hirasawa. With some friends I talk about Hirasawa, and the conversations are like follows. To Maru who is an Anime fan, I recommended ‘Blue Limbo’. "Wow, this music is cool. But, uh, I cannot catch the melody. Unpredictable, undodgeable, and even unfollowable." He replied. To Saya who is learned and smart, I recommended ‘Sim City’. "This sounds like classical music, I mean like symphony. I like the waved melodies, but electronic sounds are not my cup of tea." was her feedback. When I was watching ‘Live Phonon 2551’ with my mentee Fei in the company, he said, "The way he sings is like the ethnic minorities in China. The equipments on the stage are strange and funny. Is this what is called Electronic?"

Mostly I talk about Hirasawa on line with some internet friends. There's a group called ‘平泽进大叔研究团’, that is, something like ‘Susumu Hirasawa Study Group’. Members chat on line, but most of them have never met one another in real life yet. Last year, to celebrate Hirasawa's birthday, members even made a video and uploaded to Niconico Video. By the way again, several followers of mine in Weibo (the Chinese Twitter counterpart) has become fans of Hirasawa, who are probably influenced by me :)

5. Which do you like better, P-MODEL or Hirasawa solo?

P-MODEL is my favorite band, but I must admit that I like the Solo works better:) I think the reason is that I knew Hirasawa earlier than P-MODEL. Personally I prefer P-MODEL songs at daytime and Hirasawa solo songs at ‘moon time’ night.

Although all solo songs are not quiet songs, even some of them are rhythmic and fast, I feel deeply relaxed when I listen to them. I always read books or surf the net with Hirasawa songs as BGM. Almost every time I gradually sink deeply into Hirasawa World, and when I "wake up" from the music, it's probably 2:00 AM.

Hirasawa's unique electronic ethnic style is fantastic. The more I listen to it, the more I become eager to sing. The lyrics is difficult but when I get through some of them(Sorry, not so through. It's too difficult.), I am shocked by the beauty of it. The lyrics, both solo and P-MODEL, but especially solo ones, are elegant, mystic and religious. As a Chinese, I have to say the words Hirasawa uses which have Chinese origin are even as beautiful when I read in Chinese as in Japanese. He's not only a poet, but also a master of Chinese, although he doesn't speak modern Chinese. His lyrics even contributes to Chinese literature, as I consider, though few Chinese people know them.

P-MODEL songs are cool and interesting. With the lyrics and arrangement, they feel romantic and technical to me. At first I preferred the ‘Kaitei’ P-MODEL to earlier phases. Once I read an article about Techno music, which said that Techno uses sound extracted from daily life…the sound of electronic devices. Then I recalled the sounds of devices/machines in the old days. It was an exploding time that countless new technologies and devices came to existence. Everything seemed possible in near future. At that time I felt impulses to create, or rather, to explore, to take a ‘sail’ just like the people in the Age of Discovery. Thus I like P-MODEL equally throughout all the phases.

6. What's your favorite album?

Every single album is my favorite album. Is it allowed to answer like that? :D For now, it is ‘Philosopher's Propeller’. As I mentioned in the previous answer, I like to listen to Hirasawa's music at night repeatedly. Listening to the album, I feel myself floating to another world where is quiet and peaceful.

7. What's your favorite song?

Every single song is my favorite song. :) My favorite song now is ‘East of Timeline’, because of the lyrics. 「道を東へ、キミの威光の方へ」「囚われた壁無いと知り、息を吹くキミの本分の火」/"Way towards the East, to your power. Knowing that the walls which imprison me do not exist, the fire of your duty blows." (My humble translation. Hope there can be somebody to correct me.)

It was in the winter of 2012 when I decided to fly to Japan to watch Hirasawa's live. I worried if I didn't take the initiative to do so, I might miss the chance to watch my best favorite artist. Live ‘Nomonos and Imium’ was in January 2013, but due to the conditions and complicated process for the visa, I cancelled the plan. It was frustrating, but I knew I had to overcome.

The next year, I made it for Live ‘Parallel Kozak’. Despite of the network censorship, the borderlines, and the language gap, I made my way to the East, to Tokyo and Tsukuba, knowing that there are no walls that imprison me. On the fifth day of Parallel Kozak, I mean, right after the Live, I sang and recorded the song ‘East of Timeline’ at the Hotel. It was my last night in my first travel to Japan. Although I didn't sing very well, the record will be treated as my treasure.

8. What was your impression on Japan when you came to Japan?

Japan has been my favorite country for long, even though I could only learn about Japan from what I had watched and read. For the first time I came to Japan, I found Japan was as lovely as I imagined, or rather beyond my imagination. I have only been to Tokyo and Tsukuba, but I think it's enough for me as an excellent trip.

Firstly, I was impressed by the efficiency and convenience achieved by technology. Tokyo is a huge metropolis, but I was able to get to most places within one hour by JR and Metro. It's about twice as efficient as in Shanghai. Ticket gates are very easy to use, much better than the ones in Shanghai. Vending machines can be found almost everywhere. In Shanghai we recently have many convenience stores, but vending machines are rare at roadside. This is the city where P-MODEL and ‘DUSToids’ live. This is how a metropolis with such large population should be like. I hope one day Shanghai could catch up with Tokyo.

Secondly, Tokyo is clean and quiet. Every street that I have walked was free of dust. I even reported to my mother in a phone call, "It's so clean in Tokyo, that after 3 days walking here and there, my soles of shoes are as clean as they were new!" I saw flowers planted in pots before the doors of many houses. Every single flower was shining under the ‘solar ray’ sunlight. From the flowers I could tell that the families there must be living with dignity and devotion. Tokyo has a large population, but my observation was just the same as my friends told me, that in the streets near houses, I could see very few people. I guess Japanese people must be busy with their own jobs/duty, like the ‘Gardener King’ in the garden.

And finally, the food was delicious, or I'd rather say, the food was always well cooked in the way that it should be. I think in Japanese food there are not excessive seasonings compared to most other foods, so that it will not bring many side effects to human body. In every restaurant I was served with food that has a good aftertaste, which is impossible in Shanghai. The food does not talk, but I can read the kindness from cooks. This is why I like Japanese food.

During the days when I stayed in Tokyo, I always felt as if I returned to my hometown. I was born and grew up in a district built by Japanese, but I don't mean the streets look similar. I had been learning things about Japan for years though books. When I finally came to Japan, I felt like I returned to my home town which I had dreamed for countless times. Before I came to Japan, I was very exited. It was neither because I had never watched a live of my favorite star, nor that it was my first trip to Japan. The reason is about Hirasawa. In the past 4 years, I listened to Hirasawa's music in most nights. Again and again I wished I could see him performing. As he sang, 「祈るなら今は願いはかなうと 」"If you pray, now your wish will come true." My dream has come true.

9. How did you learn Japanese?

My Japanese is self-taught. This is why I make mistakes in grammar and vocabulary. Plus, I have difficulties to understand Hirasawa's lyrics :D When I was in the second grade of middle school, I decided to learn something cool, and I chose Japanese. At that time I only managed to recognize and write Hiragana. There were Japanese books in the school library, and I used to play ‘Nobunaga's Ambition’ and ‘Taikou Risshiden’ series, but without grammar knowledge I could only guess the meaning.

When I entered the university, I decided to make some achievements I desired, so I started to learn grammar. To check the result, I took JLPT (Japanese Language Proficiency Test) level 2 test, and passed. However I didn't use Japanese to learn or do anything. I must be lucky that right after I became an employee, when I thought I would drop Japanese, I happened to find a book store which sold second-hand Japanese books. It might be my destiny, because the book store only stayed open for 5 more days. The staff there told me that their main store was still open. From then on, every month I took 2 hours' metro and bus to the book store to hunt for books. Although I was busy and working over-time, I kept reading everyday on the bus to/from the company, and in short breaks. I didn't know what I could benefit from Japanese, only believing that I might meet something fantastic one day. It was 1 year before I became a fan of Hirasawa.

Japanese as my hobby, was only used for random readings. I had no chance to speak Japanese with anybody, or to write an article in Japanese. The first real use of Japanese was in the chat room with Japanese fans. My pronunciation was also once very poor. It was improved after trying to imitate the way how Hirasawa sings. To understand Hirasawa's lyrics, I started to learn old Japanese grammar. In one word, because of Hirasawa, I found the purpose and real fun of my Japanese language.

In learning a language, I think grammar is the most important. Grammar is the way human beings think and communicate. Learning a language without focusing on the grammar, there can not be real achievements. With proper grammar knowledge, vocabulary is not challenging -- at least one can google a word with the right form.

Japanese vocabulary is unique due to its threefold word systems. The original Japanese words, the Chinese words with Chinese characters and loanwords from other cultures. As a Chinese, I can not only easily understand the words in Chinese characters, but also know how the words are created with characters. It means, I can "create" words based on my ancient Chinese knowledge, and there's a high probability that my guess hits the real Japanese word.

Loanwords from other cultures are mostly from English, which means I can save a lot effort because I know English.

The only system which costs much effort is the original Japanese words, but if one is fond of Japanese culture, it should not be very difficult. Speaking Japanese, when I cannot find a word, I try switching to another system. That is, if I can't find an original word, I will try with Chinese origin words, or loanwords.

10. How did you manage to buy Hirasawa's works?

With a shopping proxy site or with the help of friends. There's a net-shopping proxy site called ‘Menggou’ which means ‘Moe Shopping’. On the site, most small goods on Amazon.jp can be ordered, although it takes much time, 2-3 weeks on average. However, as you know, some good are only

available on Teslakite, which only supports delivery within Japan and the US. In order to buy goods from Teslakite, I have to ask for help from my friends who live in Japan.

The final solution is to visit Shop Mecano. "If the mountain won't come to Muhammad, then Muhammad must go to the mountain." The next time I visit Tokyo, I shall go there again.

By the way, a delivery company named "Shunfeng" in China announced that it will offer a proxy delivery service which allows customers to use its warehouse address for net-shopping, then have the goods delivered home. That would be a practical way to connect to Teslakite.

11. What has been the most difficult item to get for you concerning Hirasawa?

I think it's the box set of ‘Haldyn Dome’. First I had to save money for the big box. But the real problem is delivery to China. Parcels from Japan to China are always slow, and before it arrives to the local postal office, it is always not traceable on the official website. Plus, anything may happen in Chinese customs. Although the box set shall be allowed to import, I was not confident about it. 16 discs are 16 times risky than a single disc :\ After it was sent from my friend, I checked the status of the parcel of ‘Haldyn Dome’, twice per day. Not any information was updated during those days. What I could do is to believe –I believed that It would come to me.

12. What item do you want the most concering Hirasawa right now?

‘Solar System Ashuon’ box set, of course! I think ‘Ashuon’ should be commonly dreamed among new fans, isn't it? Also I hope I could get the video of old Lives, especially those without a DVD release. Plus, If there could be a Japanese language or Thai language textbook written by Hirasawa -- and cast by Hirasawa :D

13. How do you call Mr. Hirasawa? How do you refer to his name?

His name is written as ‘平泽进’ in Simplified Chinese character, and read as "Pingze Jin" in Pinyin. In Taiwan and Hong Kong, it should be ‘平澤進’. In China, he is called ‘師匠’ which is obviously borrowed from Japanese fans. The pronunciation is "Shi Jiang" in Pinyin. But there are more nicknames for Hirasawa. For example, some may call him ‘平泽大神’ = God Hirasawa, some may call him ‘平叔’= Uncle Hira. I would refer to him as ‘平泽进老师’= Master Susumu Hirasawa.

14. Do you have any message to Hirasawa fans in Japan?

Sure! I envy you Japanese fans so much that you live in Japan as Hirasawa does, speak Japanese as Hirasawa does, and it is even possible to see him at the next corner.  How fortunate you are!

Ever since I chatted with the first Japanese fan, I have known over 100 of you (mainly via internet though). I'm so thankful that I've been shared with so much information. And I'm so happy that we share the same feelings about Hirasawa and his works. Thank you all, and let's share more in the future!

15. If you can speak to Mr. Hirasawa, what would you say to him?

Mr. Hirasawa, you are indeed a genius. Listening to your music, your voice, your lyrics, and learning from your almost life-long music career, I have been granted with courage. On the way of life, imagining Hirasawa who is walking far away ahead with love and faith, I am able to lead my own way. Trusting Hirasawa, I trust everything in my life. Thank you. Thank you so much.

犬風船(Inu Fuusen)/Cano
Japanese translation by Inu Fuusen&Lucy                                       
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星野スミレ

Author:星野スミレ
平沢進、P-MODELを敬愛して、26年の
星野スミレによる電子降る日々

(C)Denshi Furu Nikki

This is a blog I, Sumire Hoshino, write about my days and events as a fan of Susumu Hirasawa and P-MODEL. The mainly featured journal pages are about my big collection of CDs and records. I have tried collecting all of the different versions of each CD/record by Susumu Hirasawa/P-MODEL. I hope you enjoy reading it.

My twitter ID is :@sumire_hoshino

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